ベトナム ホーチミン(3) 生まれつつある物と事

Vietnam Ho Chi Minh City

戦後の経済発展

街中には種々のスローガンが張り出されています。ベトナムは、1975年にベトナム戦争に勝利し1976年南北に分断されていた国土を統一した共産党が主導する社会主義国家です。

南ベトナム陥落から45年が経ちました。ホーチミン市中を歩けば、経済が発展しお金が回っている様子が、あちらこちらに見てとれました。1980年代から開始されたドイモイ(刷新)政策によって、国家が経済統制を手放して自由化した成果です。

南ベトナム陥落から45年が経ち、戦争で撃墜された米軍機の残骸の前にベンツが停まっている。
ビテクスコ・フィナンシャル・タワー  
ベトナムのデベロッパーであるビテクスコが開発所有 
設計は アメリカの建築家カルロス・ザパタ  施工は ヒュンダイE&C

ホーチミン市の目抜き通りにはハイブランドのショップが立ち並び、市中には多くの世界各国からの観光客が歩いています。以前は仇敵であったはずのアメリカ人の団体観光客が大勢歩いて盛んに写真を撮っていました。彼らはこの街に何を求め何を見ているのでしょう。

正面のベージュの建物は近年建てられた商業オフィスビル 1階にルイヴィトンの直営店 

日本のODAによる地下鉄工事も進行していました。ホーチミン市内の公共交通機関はバスかタクシーしかないので、開通すれば近郊から中心街に通うのが随分楽になることでしょう。近郊の宅地開発も一層盛んになると思われます。

地下鉄の工事現場 日本の出資 この区間は日本のゼネコンが工事を担当

ユニクロの店舗が開店準備中でした。(翌月12月には、ユニクロの直営店が市内の一等地に開店し、大勢の人が行列を作ったと報じられました。)いよいよこの国で本格的な大量消費活動が始まる、その時を目撃しているのだと感慨を覚えました。

オープン準備中のユニクロ店舗

文化を継承し、自らの新しい文化をつくる

ベトナムは伝統的な工芸品を中心とした生活雑貨が豊富で旅行者に人気です。訪れたライフスタイルショップではベトナムの新しいデザインの流れを見ることができました。

オーセンティック(本物、正当)と名付けられたライフスタイルショップで、シンプルでモダンな形状にベトナムの伝統的な意匠をまとわせた美しい食器、家具、洋服を見ることができました。食器はベトナムの伝統的な焼き物であるバッチャン焼きをシンプルで優しい形状の器にリモデルし、伝統的な蓮や麦などの文様をサラッと手書きで描いています。価格は他の雑貨店に比べると比較的高価ですが品質ははるかに良いものでした。店内には欧米や中国の旅行者や現地在住の欧米人が熱心に買い物をし、この店で食器を買うことも旅行の一つの目的であったという会話が聞こえてくるほどの人気でした。

モダンで洗練された店内 1階が食器 2階と3階はそれぞれ家具や生活雑貨と洋服の売り場

若い店員は、1995年にブランドを立ち上げ、ハノイ近郊のバッチャン焼きの産地でメーカーや絵付師を探すことから始めて、試行錯誤の末に今の形までもってきたと、熱心に説明してくれました。僕がこの国ならではの新しいデザインを見てとても感心したと伝えると、いろいろとデザインについて学んでいるようで、まだまだ話したいことがあるようでした。
国の経済成長を背景に 、長い地道な努力とデザインへの造詣をもってブランドを育てたプライドと、これからさらに成長し飛躍していこうとする意欲が感じられました。

ホーチミン市街で目を引くのは高層ビルとフランス植民地時代の歴史的建造物です。 高層ビルは欧米の有名建築事務所が設計し、中には外国の建設会社が施工したものもあります。

それらの中に目を引く個性的な建物がありました。ベトナムの建築家集団 a 21 studioが設計したホテル ザ ミスト ドンコイです。

ホテル ザ ミスト ドンコイ
背後の高層ビルはベトコムバンクタワー 設計は米国の建築家シーザーペリ

a 21 studio はベトナムの風土と伝統を再解釈して新しいスタイルの建物を造る建築家集団です。
このホテルに見られるテラスへの大掛かりな植樹は建築デザインの最近の流行りではあります。
ただ街をあるくと、流行と関係ないだろう建物にもテラスへの植樹が目につきます。街に街路樹はあっても緑地が少ない反動でしょうか。それとも、テラスに植樹をすることで生活空間が快適になるのでしょうか。都会の中で住民の緑への憧憬のようなものを感じます。

テラスに植樹がされた建物 これが建築デザインの流行を追ったものか、それとも緑を希求してのものかはわかりませんが、テラスへの植樹は街中で多くみられたものです。

フランス植民地時代の建物の多くは母国フランスの建物を南国の風土に合わせて変形させたもので、この国の固有の風土から発生したものではありません。ましてやこの国の人たちの歴史や生活様式など言わずもがなです。
対してこのベトナム人建築家は、この土地の風土を基本に据えて街の人たちが感じている植物への愛着を受け止めて、モダンなスタイルに混ぜ込んだ新しい表現として具現化し街の中に持ち込んだのだと感じました。

ホーチミン市

10代の頃にベトナム戦争のニュースを見、本を読み、そしてサイゴン陥落の様子をテレビで見てから、いつかサイゴンに来たいと思っていました。それから45年が経ち街の名前もホーチミン市に変わり、街は勢いをもって新しい時代に入っています。

植民地時代の建物 共産党政府のスローガン スケートボードに興じる少年

今この街は成熟の手前まで来ているのだと思います。外資の導入と旧宗主国文化の再構築が同時進行で進み、観光客であふれ、建国のスローガンが立ち並び、そのなかにこの国ならではの新しい文化があちらこちらで立ち上がりつつある。過去は自分たちの意思どおりに出来上がったわけでは無いが、それを再解釈しつつ改めて自らの新しい文化を創造することにチャレンジする人たちがいる。
ベトナム戦争あるいは植民地時代を過去として切り捨てること無く、むしろ其処に自国のアイデンティティを見出している。

ベトナムの人たちの自国に対するプライドを大いに感じ、いつかここに生まれつつある新しい物や事を集中的に観に来たいと思いながら、インドシナ訪問最後の都市ホーチミンを離れました。

飛行場へ向かうタクシーから見たサイゴン川と朝日

インドシナ3国の旅行を振り返ってへ続く