Vietnam Ho Chi Minh City
11月のホーチミン市は比較的涼しい乾季に入ったばかりです。 しかし道路際の街路樹の間から日射が強く歩道を照らし、 街路樹の影がくっきりと建物に映ります。 車道のアスファルトからも照り返し、肌がチリチリと熱くなってきます。 ヤンゴンもバンコクも暑く感じましたが、ホーチミン市のそれはまた特段と感じ、飲み水を持たずに長時間歩くことはできません。
街中はどこに行ってもバイクが群れを成して走り回ります。 暑すぎて長く歩けないからほんの少しの距離でもバイクに乗るのか、歩いている人よりもバイクに乗る人のほうが多い状態でした。道路を渡るときは、バイクの運転手と目を合わせて、阿吽の呼吸で相互によけながら歩きます。街中に騒音が満ちて暑い日差しに排ガスの臭いが漂います。
ホーチミン記念館の前庭にベトナム戦争で使われた兵器が展示されていました。北ベトナム軍が使った旧ソ連製の戦車も展示してありました。南ベトナムが陥落したときこのタイプの戦車がサイゴン(現ホーチミン市)に入って、大統領官邸の鉄扉を押し開ける印象的な映像があったのを思い出します。
南ベトナムの暑さのなかで、寒い国で作られた鉄の箱に閉じこもって戦うということがどれだけ大変だったか。 現地の暑さのなかでそう思うと、あらゆる場面に暑さがまとわりつく、とんでもない戦いだったのだろうと実感しました。
日中は暑すぎて、とても屋外のランニングなどできません。 通りがかりに見つけたスポーツクラブでは窓を開けて屋内トレーニングをしていました。日陰に入れば湿気の無い空気は比較的涼しいので、窓を閉めて空調を効かせた施設よりも開放感があり、かえって快適そうです。入り口では体格の良い男性がのんびりと休憩中です。
今回、ホーチミン市内で木造家屋を見ることはありませんでした。ベトナム戦争当時のサイゴン市街の写真を見ると木造家屋が見えますが、今はもうほとんどはコンクリート造になったのでしょう。(注:ベトナム戦争中の枯葉剤の影響でベトナムの木材には毒性物質が含まれており、建築などには使用できないことを後日確認しました)
街中の住居は軒が深く、 青い空を背景に 白い外壁が強い日差しに美しく映えます。 ヤンゴンやタイで観られるような開口部の鉄格子が取り付けられていないので、バルコニーに開放感があります。
しかし、そもそもコンクリートの箱はこの暑い街に相応しいのでしょうか。強い日光に照らされて躯体は蓄熱体となって、夜間も屋内はかなりの暑さだと思います。断熱性能が高くなければエアコンで強制的に冷やすしかないでしょう。この季節、日陰には涼しい風が吹いているのに、それを生かす設計にはなっていません。
ヤンゴンでもバンコクでも見られる路上の生活。店舗の前面に仕切りは無く道路に向けて開放されています。路上にも椅子を出して、屋内空間が路上に延長されています。屋内にいるよりも快適だからでしょうか。同じような路上の食事であっても、パリのカフェのような客と歩行者の見る見られるという一寸した緊張関係はありません。 人々はリラックスしてのびのびとしています。 11月乾いた風が日陰を抜けていきます。
日本でも昭和の時代、夏の路地に縁台を出して人々が寛ぐ写真を見たことを思い出しました。地域には地域の特性に合わせた生活のスタイルと空間があります。
交差点の角地の大衆食堂は、一階の道路に面した二面には壁が無くピロティのような構造となっていました。歩道の路面と店内の床面に段差がないので、歩道と建物の一階が一体化し、垂れ壁とショーケースよって屋外と屋内が曖昧に分割され、テーブルが置かれて食堂になっています。 店内は屋根付きの小さな広場のようです。
道路の騒音と排ガスの臭いに表を通るバイクや歩行者を身近に感じつつバインミーを食べながらビールを飲むと、大きな露店で食べているような活気と気取らない開放感を感じました。ここも空調はありませんが風が抜けて気持ちの良い熱帯の夜です。
しかし外から改めて見ると、2階から上の住居部は閉じた空間となっているので、一階のような開放感は無く、ガラス戸を閉じてプライバシーをしっかり確保していました。
中央郵便局の隣に最近できた本屋の並ぶ小道がありました。両側に本屋と文房具屋とカフェテラスが並ぶ200メートルほどの木陰の小道 です。新刊を扱う店、外国の本を並べた店、古書専門店、洒落た文房具を扱う店もあるので、通りを行き来しながらゆっくりと本を選び、買い物をし、買った本を半屋外のカフェで読み、行き来する人を眺めることができます。
表道路の騒音もあまり聞こえず、木陰に風が抜ける落ち着いた歩行者専用の小道と、仕切りが無く路地に向けて開放された店舗のファサードが組み合わされ、道と室内が一体となった心地よい空間が出来上がっています。
さらに場所によっては小道の上にオーニングがかかって、道路自体が半屋内空間のようになり、屋内と屋外の区別を曖昧にしています。
どこも賑やかで忙しないホーチミン市街を長時間歩いてこの小道に入った瞬間は、別の街に来たかのように感じ、最初はいささか戸惑い、そして地元の本を見て回りコーヒーを飲みながらゆっくりと過ごせることが分かってとても嬉しくなりました。
この小道をよく見れば、書店とカフェの小道として全体がトータルでデザインされ計画的に再開発されたことが分かります。
道路は以前は車道だったのでしょう。いまだ中央に白線が残っています。 店舗の開放されたファサードは、この街の一般的な店舗と同様で、年間を通して暖房が必要ない国の特性を生かしていますし、露店のような雰囲気も持ち合わせています。
ファサードの軒は同じ高さに揃えられ、その上に店舗サインが同じ仕様で取り付けられています。
木々の緑の下の、茶色をベースに青色と黒をアクセントにしたシックな色彩計画は、本という少しクラシックな文化の良さを良く表現しています。さらに路上の立て看板では作家や新刊の紹介がされており、また全体の清掃状態も良く、運営もまたトータルで考えられ行われていることが分かります。
店舗は本屋、雑貨屋、カフェのみで、どれもセンスの良い品ぞろえです。一見なにげなく品の良い良い通りに見えますが、計画的なMDにより考えられて選ばれた店舗であることに気付きます。子供向けの本から小説、専門書、教科書、いろいろな本が並べられていました。立地は観光客の多い、商業地としてとても魅力的な場所です。あらゆる業態にとって魅力のある場所に、あえて本屋を持ってくるというのはどのような経緯があったのか、都市計画に興味が湧きます。
ここで小道は単なる通路ではなく何かをする場です。 年間を通して開放的な空間を持つことができる熱帯ならではの街路です。 それをモダンデザインできれいにまとめ上げています。
喧騒が常に追いかけてくるこの街の中心に本屋街をもってきて、落ち着いてリラックスできる場をつくるセンスは只者ではないと思いました。このセンスの良さはここだけに取って付けたものでは無く、この街全体に漂うものでもあるのですが。
街路樹と小道と店舗が一体化し、清掃も行き届き、運営もトータルで行われて、全体が一つのコンセプトの基で一体化した街路、 今のベトナムにこのような完成度の高い街並みを作り出す企画実行力があることは大きな発見でした。