Vietnam Ho Chi Minh City
11月25日16時、ベトナムのタンソンニャット空港に到着しました。 空港の建物を出ると急な土砂降りの雨が降り出しました。インドシナに来てから初めての雨です。ベトナムの夕方、暑い空気の中の大粒の雨は日本のそれよりもぬるく、しかし強い勢いで降っていました。タクシーはオートバイの大群を縫うようにして街の中心部へ向かいます。
「博物館は自国の歴史の解釈を通じて、どのような国であるかを提示する場所である。」ベトナム歴史博物館の入り口に掲げられたパネルには、そのように記してありました。
ベトナムは古代より中国の侵略を受け、その後フランス、日本、アメリカと侵入してくる外国勢力との戦いを経て、 今、自国を 戦いに勝ち抜いてきた国と位置付けています。
今回の滞在で歩いたのはホーチミン市一区、フランス植民地時代の建物が多く残る街の中心となるエリアです。
街中に見られるフランス統治時代の建物は正にこの国への侵入者の建築です。オペラハウス、大聖堂、中央郵便局その他にも多くの植民地時代の建物が街のあちらこちらに建っています。イギリス領であったヤンゴンの植民地時代の建物が重厚で暗い色であるのに比べ、フランス領であったホーチミンのそれは明るく軽やかで華やいだ感じがします。
また、この街にはフランスの文化を継承したものが多くあります。食べ物であればフランスパンを使ったローカルなサンドイッチ“バインミー”、至る所にあるカフェとベトナムコーヒー。など、侵入者フランスの文化に大きく影響を受けています。
街を歩きながらこのような建物をみると、明るく素敵ではあるが、自らの意思とは関係なく宗主国の都合で建てられたこれら遺物を、この国の人たちはどのように捉えているのか、不思議な気持ちになりました。
この街のどこにオリジナリティはあるのか。今一つ分からない。東洋のパリどころではないだろうに。
そんなことを考えながら通ったオペラハウスの前では、ウェディングドレスの花嫁が撮影に余念がありませんでした。
オペラ座から少し離れて建つ歴史的建築物のひとつ、中央郵便局では、観光客向け土産物屋と郵便窓口が同じホールに同居して、郵便を出す人達、土産物を買う人達、全く目的の違う人たちが混ざりあっていました。
オペラハウスの前でポーズを取る花嫁、がやがやとまとまりの無い中央郵便局。軽いといえばあまりに軽い、その有様に博物館で観た異国との闘争という骨太な主張は感じられません。
しかしそこには人々の生活と建物との、とても親密な関係が感じられます。たぶん彼らは、占領者によって 自分たちとは関係なく 作られた建物であっても、自分たちが良いとあるいは必要と思えば、自分たちの今の生活に取り込んでしまうのだろうと気づきました。
社会の中で生活と共に生きている建物の姿は、生き生きとして魅力的です。その出自がいかなるものであれ、好まれ必要とされる“今に生きている建築”を見た思いがしました。
そして、その底に、長い間侵入者と関係しながら生き延びてきている、この国のしたたかさと強さを見る思いでした。
日本に帰ったら、日本の歴史的な洋風建築物を改めて再度解釈してみようと思いました。